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2010年9月10日金曜日

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理性はあてにできない


 理性という心は、人間だけに与えられたもので、ものの善意、是非、邪正、曲直というものを分別してくれる心です。

世の多くの人々は、理性だけを標準として、ああでもねえ、こうでもねえと考えて、心のもつれの一切を解決しようとする。

また、そういう力を理性が持っているために、人生の一切はこの理性に任せて生きることが、また生きてこそ一番安全だというふうに思い違いをしているんです。

理性というのは、一日一分といえども、同じ状態でいないんです。つまり、昨日の理性と今日の理性は違うんですよ。よくあるだろ?おととい考えたことを、今日考えてみたら、ああ、あれよりこの方がいいな、というふうに考え直すことありゃしない?

それは結局、理性というものは向上し、発達し、変化するからなんです。

だから、今日、自己の理性で判断して、是なりと思ったことも、明日になって、さらに理性の発達に伴って、あるいはそれが全然反対に非となる場合だって往々にしてあるんですぜ。

だから、変転変化極まりなき発達性をもっている理性のみを標準にして生きようとする計画は、狂っているコンパスをあてにして航海をするよりまだ危険なんですよ。

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俺はいつも自分の理性に従って、これはいい、これはだめだと、決め付けて考えてきた。

自分がいつも正しいと考えてきた。

でも、今考えるとあのころと随分考え方が変わってる。

ということは、自分は正しくなかったということになる。

理性はあてにできない。

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