ページ

2010年8月31日火曜日

8/31夜

今日、めちゃめちゃ感動したので、その気持ちを自分が忘れないために乗せます。



人の価値は、
何を言うかでなく、
何をするかできまる。


何かしよう。
しょーもないことしてるうちに人生終わっちまう。

8/31

心に施す技術

一切の人生を完成せしめるゴールデンキーは、想像力という心のバイブレーションを受けて強固になる信念の力のひとつです。

 そのためには、潜在意識の持っている素晴らしい作用を、実在意識からうまくコントロールしていく方法を活用することです。

少し理屈っぽいことを言うようですが、そもそも心というものの行う思考の直接の源は、多くいうまでもなく意識ですね。

その意識には「実在」と「潜在」の二つがある。

実在意識は思考や想像の源をなして、潜在意識は力の源という役割を行うのです。

だから、潜在意識は他から入ってくる印象の貯蔵庫でもあると同時に、また経験したことをしまっておく倉庫でもある。

もっと簡単にわかりやすく言うと、潜在意識は人間の生命をいかし、また守る貴重な役割を実行すると同時に、実在意識の思念するものを現実化するように自然と努力を行う傾向がある。

だから、現在を生きがいのあるものにするには、心に施す技術、いわゆる想像力を応用して自分の念願、宿願をはっきりと心に描くことを絶え間なくやるという技術に完全に熟達しなさい。

上手になりなさい。

***********

思念=思い考えること。常に心に深く思っていること。「今後の身の振り方を―する」

心をうまく使うには、潜在意識に自分の念願、宿願をしっかりと入れておくということをすれば、潜在意識は、それを現実化しようとしてくれる。

その潜在意識への入れ方は、常に絶え間なく自分の目標なりを見たり考えたりして、行う。

この技術を上手になれということかな?

2010年8月30日月曜日

8/30

チャンス

古訓にも、「チャンス」を逃すものは愚人である、というのがある。

また「真によく成功する者は、常にチャンスを巧みに捉える人である」というのがある。

ところが、誰もが知っているはずのこの言葉通りに「チャンス」というものを、いつも正確に逃さずの捉えて人生に生きている人が、どの位あるであろうか。

「しかも「チャンス」というものは、そうしばしばは、容易に恵まれないものである」

要するに、運命であれ、健康であれ、それをより良い状態にするには、特に更正の「チャンス」を絶対に逃さぬことである。

そして「チャンス」に対しての必要な注意は、常にそれを見逃さないようにすること、もう一つは、チャンスに直面した際、無駄に迷いためらわないことである。

即ちさっそうたる決断力を持って、万難を排して、これをキャッチすべしである。

これぞ、愚人の轍を踏まない、最良の手段である。

**************

こんなこと言われても、たぶん俺は「チャンス」を逃すよ。

颯爽たる決断力を持って、万難を排してって、わからんよ。どうしたらいいの?

たぶん、チャンスと感じたら、迷わずいけ!ということかな?

誰にもこの先チャンスは来るね、間違いなく。

そのときどう動くか?だね、でも大体の人は、現状を壊したくないから動かないよね。

動かなくて良かったっていうことも多々あるからなんともいえないか。

2010年8月29日日曜日

8/29

つまらない考え方

心の弱い卑怯な人になると、「何か自分には運命が向いていない」だとか、「世間がまだ本当に認めてくれない」だとか、もっとあきれた奴になると、

「設備が整ってない」だとか「誰々が手伝ってくれない」とか、何かうまくいかないときに、みんな、自分以外のもののせいにする人がいますが、とんでもない了見違いですよ。

もっとはっきり言えば、やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。 

いいですか、幸福も健康も成功も、ほかにあるんじゃないんですぜ。あなた方自身のなかにあるんだぜ。 

運が向こうから、皆さんのほうへお客さんのようにくるんじゃないんですよ。

すべての幸福や好運は、自分が呼び寄せなければきやしないんです。

自分が呼び寄せるというのは、自分の心が積極的にならないかぎりは、呼び寄せられないんです。

もっとやさしくいうと、幸福や好運は、積極的な心持の人がすきなんですよ。

********

俺は完璧に了見違いをしてきた。心の弱い卑怯な人だった。

「幸福も健康も成功も、ほかかにあるんじゃない。自分自身の中にある」ってとこかなりシビレタ。

心を積極的にしにゃあいかん。

2010年8月28日土曜日

8/28

笑いはこの上ない開運剤

人間は万物の霊長として創造の大志命を行うがために、この世に生まれたのでありますから、一面においては他の生物とは比較にならないほどいろいろな恩恵を受けられています。

が、まあその半面においては、その人生に重い大きな負担を負わされています。

したがってその実際その生活を営むとき、それはもう、計り知れない苦しみと悩みとがあるのです。

そして、”笑い”というものは、その苦しみや悩みに疲れる心や体を、「ほどよくこれをもって調和せよ」ということで、人間だけに与えられた特別なものに他ならないのです。

そのの証拠には、苦しみや悩みに襲われたようなとき、何かおかしなことがあって思わず笑えば、どれだけその苦しみやなやみが軽くなるかわからないでしょう。

第一、いつもニコニコしている人に病弱な人はいますか?

笑顔で悲観している人や、その精神を消極的にしている人はいますか?

事実において、ニコニコ笑顔の人のそばにいるのと、難しいしかめっ面している人のそばにいるのと、あなた方はどちらが気持ちいい?

笑顔の人のそばにいると、なんとなくチャームされ、多少の悩みや悲しみがあってもわすれられてしまうでしょう。

笑いは無常の強壮剤であり、また開運剤なんです。

********

チャーム=魅了

人間は万物の霊長で笑うという機能は人間にしかない。

・・・なんか同じ人間でも、悟ったひと、極めた人って居て、その人たちは、俺たちとはなんか考え方の根本がちがって、、 俺たちはただ、この社会に流されているだけのような気がする。

2010年8月27日金曜日

8/27

宇宙の因果律

考えてみよう。怒ったり、悲しんだり、悶えたり、迷ったり、苦しんだりしているときに、気持ちがいいか。

 静かに、我が心に「心に憎しみはないか、怒りは、悲しみは、嫉みは、悶えは・・・」と問うてみよう。

宇宙には因果律という法則が厳として存在している。だから、そういう心持でいる人は、いつまで経っても本当の安心立命は出来はしない。

美しくしておくべき心の花園に、自分から汚物を振り撒いて歩いているようなことをして、それを、

「天命だ。あるいは逃げることのできない、せっぱつまった業だ」

などと考えている人があるなら、結局その人は人生を、寸法違いのものさしで測っているのと同じような結果を、作っているようなことになる。

だから、良い運命の主人公として生きていきたかったら、何を措いてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、終始自分の心の監督をしていかなければならない。 

宿命を統制するにはもうひとつ必要なことがある。

それは、常に、心の中に感謝と歓喜との感情を、持たせるように心がけることである。なんでもいいから、感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。

*******

因果律=哲学で、すべての事象は、必ずある原因によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理。

何かの出来事の重大さやその大小が自分の心の起伏の大きさを決めるのではなく、自分の心の状態が起伏の大きさを決める。

だから、常に自分の心の状態を監督する。

簡単な方法は常に感謝すること。

2010年8月25日水曜日

8/25

天命と宿命

運命には、どうしても逃れられないものと、それから逃れられるものとがあるんです。

つまり、身をかわしきれないものとかわし得るものとある。

かわしきれない運命は「天命」という。

絶対的なもので、これは人力ではどうにもしようがないもの。

女が女に生まれ、男が男に生まれたのも天命。

この現代に生まれたのも天命なら、昔に生まれたのも天命。

また末の世に生まれれるのも天命だ。

これはどうともすることはできない。

しかし、絶対に逃れることのできない天命的なものばかりが人生に襲いかかるんじゃない。

多くの人が苦しみ悩む、いわゆる天命は「宿命」なんだ。

宿命というのは、人間の力で打ち拓いていくことができるもの、絶対的でない、相対的なものなんだ。

ところが、今の人は、撃ち拓くことのできる宿命にぶつかったときでも、それを天命という。

自分の努力が足らないことは棚に上げて、どうにも仕様がないと言うのである。

そういう人間が人生に生きるとき、ただ偶然ということのみを頼りにして、その結果、自分じゃ気がつかないが、いつか自分の心が迷信的になって、すぐ神や仏にすがりつこうとするのである。

*********

努力すれば宿命は打ち拓くことができる。

天命以外は変えられる。