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2011年5月5日木曜日

5/5

時が経つのは早いな7ヶ月ぶりの投稿。

やっぱり何か残していったほうがいいね。こういう日記とか。

またちょくちょく書き始めよう。

最近は情報がいっぱい過ぎて何を信じていいのかわからない。

困ったね。 真実を探してるうちに人生終わっちゃう。

これじゃいかん。動じない信念がほしい。

33歳と9ヶ月。。もうこんなに生きたんだ。。

龍馬はこの年で死んだんだよな。でも、いろんなことを成し遂げた。

俺はまだひとつもやっちゃーいねー。

一つのことにフォーカスしてそれをやり遂げる。これだな。

俺も今まで自由気ままに自分のことだけ考えて生きてきたけど、

やっぱり人間最終的には、人のために生きたい、何かしたい。

に行き着くんだなと思う。俺も最終的には何かの役にたちたい。

子供?家族?福島?日本?地球?宇宙の発展のため?

何かの役に立ちたいならまず、読み、書き、しゃべりをしっかりしにゃいかん。

俺はここからやらんといかん。

5月からアサヒ新聞の天声人語を手書きで書き写してる。

書くと、きずきがたくさんある。意味わからん字がおおいな、俺、漢字書けなすぎとか、

字が来たねえな、もうここで書くのやめよかなとか。


やばいね。社会にでちゃってていいの?って感じ。

続けよう。習慣化させよう。

2010年10月1日金曜日

10/1

最近情熱が薄い。

どげんかせんといかん。

たぶんこの環境への慣れだ。

もう決めた。来年、旅に出る。

タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン辺り。

俺は自由だ!幸せだ。

2010年9月30日木曜日

9/30

幸福を感じられる人


本当に幸福を感じ得る人というのはどんな人か。

どうだい?あなた方のなかで、幸福を感じてるほうが多いか、不幸を感じてるほうが多いか。

自分自身は自分自身がよく知っているから、知っている自分を対象物として、

これから私の言うことを聞いてごらん。

こういう人が本当の幸福を感じて生きている人なんだ。

その心の中に絶えず高尚な積極的観念が熱烈に燃え上がって生きている人。

どう?そういう人は、よしんば仮に、はたから見て大きな不幸だなあと思うようなものがこようが、

すべてをその高尚で積極的な心的態度で美化、善化して、幸福化してしまっているのであります。

本人が幸福化している以上は、不幸はありゃしない。

幸福というものは主観的断定だもの。

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高尚(こうしょう)=


[名・形動]学問・技芸・言行などの程度が高く上品なこと。けだかくてりっぱなこと。また、そのさま。「―な趣味」「話題が―すぎる」⇔低俗




俺は幸福だとはっきり言える。

2010年9月14日火曜日

9/14

苦しみも微笑みに


悲しいことやつらいことがあったとき、すぐ悲しんで、つらがってちゃいけないんだよ。そういうことがあったとき、すぐに心に思わしめねばならないことがあるんだ。

それは何だというと、すべての消極的な出来事は、我々の心の状態が積極的になると、もう人間に敵対する力がなくなってくるものだということなんだ。

だから、どんな場合にも心を明朗に、一切の苦しみをも微笑みに変えていくようにしてごらん。

そうすると、悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくから。

人の運命というものは、油断すると、常に本能と手を組んで歩こうとしているものなんだ。

そして、消極的な出来事は絶えず、不用意な人々の周囲を徘徊してるんだよ。

だから、運命の力をほどよく制御したかったならば、自己本能の分別ない行動を正しく制御しなきゃならない。

苦しいとか悩ましいとかいうのは、みんな本能の踊り子の自分の心がなっていたための結果だよ。

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自分の本能を制御しなきゃいけない。

本能に振り回されてはいけない。

2010年9月13日月曜日

9/13

六つの力


「心身統一法」というひとつのドクトリン(教義)は、健康と運命とを完全にする生命要素というものをつくることを、そのプリンシプル(根幹)にしているのであります。

生命要素とは何かというと、ひらったい言葉で申し上げると、健康や運命を両立的に完成するのに必要な「生命の力」であります。私はこの力を便宜上、六種類に分けて説明しています。

心身統一法によってその内容量を増やす力、第一が「体力」であります。

第二が「胆力」、第三が「判断力」、第四番目が「断行力」、第五番目が「精力」、第六番目が「能力」。

たとえ懐に一文もなくとも、これだけの六つの力が自分の生命の中に内容量豊かにあれば、人生はまるで天馬が空を行くように順調なものであります。

それこそ矢でも鉄砲でももってこいというような気持ちで生きられる。 

健康はもとより運命までも順風に帆をあげたような毎日が味わえれば、心に不平も起こらないし、煩悶(はんもん)もなく、大した度外れな欲望も出ず、ひにち毎日が何とも言えない明るい恵まれたものに感じられて生きられるのです。

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胆力(たんりょく)=事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力。ものに動じない気力。きもったま。「―を練る」


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体力 胆力 判断力 断行力 精力 能力があれば天馬が空を行くように生きられる。


なんか気持ちよさそう。

2010年9月12日日曜日

9/12

精神の態度で

 ここで、「人生と積極精神」という、極めて大切なお話をしようと思うのであります。

健康も長寿も運命も成功も、いえいえ、極論をもうしますと、人生の一切合財がすべてこの積極精神というもので決定されるためなのであります。

 たいていの人がこの心理に目覚めておりませんから、健康や長生きというような問題は、肉体に施す手段や方法が、何より重大であるように思い、また運命や成功というようなことも、まず学問とか、あるいは経験とかを充分に豊富にしなければいけないように思い込んでいる。

それはもちろん、そうした事柄も不必要なことじゃありません。

むしろ必要なことに相違ありませんけれども、厳格に申すと、それは第二儀的なものなもです。

 第一に必要とする事柄は、精神の態度であります。

 心が積極か、あるいは消極かで、人生に対する考え方がぜんぜん両極端に相違してきてしまう。

心が積極的であれば、人生はどんな場合にも、明朗、溌剌颯爽(はつらつさっそう)、勢いの満ちたものになりますけれども、反対に消極的だと、人生のすべてがずっと勢いをなくしてしまいます。

人生を考える自分の心が消極的だと、すべてが哀れ惨憺(さんたん)、光のない、惨めなものに終わりゃしませんか?

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健康も長寿も運命も成功もすべて精神の態度で決まる。

間違いねーよ。

俺はまた積極精神を手に入れたよ。

2010年9月10日金曜日

9/10

理性はあてにできない


 理性という心は、人間だけに与えられたもので、ものの善意、是非、邪正、曲直というものを分別してくれる心です。

世の多くの人々は、理性だけを標準として、ああでもねえ、こうでもねえと考えて、心のもつれの一切を解決しようとする。

また、そういう力を理性が持っているために、人生の一切はこの理性に任せて生きることが、また生きてこそ一番安全だというふうに思い違いをしているんです。

理性というのは、一日一分といえども、同じ状態でいないんです。つまり、昨日の理性と今日の理性は違うんですよ。よくあるだろ?おととい考えたことを、今日考えてみたら、ああ、あれよりこの方がいいな、というふうに考え直すことありゃしない?

それは結局、理性というものは向上し、発達し、変化するからなんです。

だから、今日、自己の理性で判断して、是なりと思ったことも、明日になって、さらに理性の発達に伴って、あるいはそれが全然反対に非となる場合だって往々にしてあるんですぜ。

だから、変転変化極まりなき発達性をもっている理性のみを標準にして生きようとする計画は、狂っているコンパスをあてにして航海をするよりまだ危険なんですよ。

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俺はいつも自分の理性に従って、これはいい、これはだめだと、決め付けて考えてきた。

自分がいつも正しいと考えてきた。

でも、今考えるとあのころと随分考え方が変わってる。

ということは、自分は正しくなかったということになる。

理性はあてにできない。